京焼・清水焼とは

Kyoyaki・Kiyomizuyaki

京焼・清水焼について


Kyoyaki・Kiyomizuyaki

「京焼・清水焼の特徴は何ですか?」
当店に来られるお客様から一番多い質問です。確かに当店でも店内には豪華な金彩色絵のものやシンプルで古典的な染付文様のもの、焼〆や天目、はたまた現代アーティストの斬新なオブジェまで様々。疑問に思いますよね。

「京焼・清水焼とは」

江戸時代、京都市内には粟田口焼、八坂焼、音羽焼、御室焼、御菩薩池焼、修学院焼、そして清水寺参道あたりで焼かれていた清水焼とあり、それら京都の焼物の総称を京焼と呼んでいました。
現在では、東山一帯・山科・宇治などで生産されるものを京焼・清水焼と呼んでおります。
経済産業大臣指定伝統工芸品及び京都府知事指定伝統的工芸品の指定でも「京焼・清水焼」と呼ばれています。

「京焼・清水焼の特徴」

京焼・清水焼は、備前焼・信楽焼・有田焼などのように決まった土や釉薬・技法がありません。
京都では原料となる陶土を採ることがほとんどできないので、陶工は他の産地から土を取り寄せ、独自にブレンドし、個性あふれる作品を生み出しました。
また京都は永く都があったことから、茶人・将軍家・宮家・武家などへの出入り・御用拝命という実績により箔を付けたことで、高級志向と装飾性の高さ、そして多様性は、他のやきものにない京焼・清水焼の大きな特徴といえます。
現在も、手に馴染む軽やかな仕上がりと、四季折々の花々や吉祥の願いを込めた紋様など、使い心地と優れたデザイン性を兼ね備えた作品を作り続けており、作家・窯元それぞれの個性が強いことも特徴といえるでしょう。

「京焼・清水焼の歴史」

京焼の歴史として、1605 年博多の豪商・神屋宗湛の「宗湛日記」の中に“ 肩衝京ヤキ ”として初めて登場し、1635 年には金閣寺住職・鳳林承章の「隔蓂記」の中では京焼・粟田口焼・八坂焼・御菩薩焼と多数のやき場が登場します。

京焼の歴史として、1605 年博多の豪商・神屋宗湛の「宗湛日記」の中に“ 肩衝京ヤキ ”として初めて登場し、1635 年には金閣寺住職・鳳林承章の「隔蓂記」の中では京焼・粟田口焼・八坂焼・御菩薩焼と多数のやき場が登場します。

京焼を語る上でまず欠かせない人物として野々村仁清・尾形乾山があげられます。京焼随一の名工と評される野々村仁清(生没年不詳)。色絵技術の素晴らしさから現在の日本の国宝・重要文化財に指定されている京焼の多数が、仁清の色絵磁器で占めている事や、当時においても徳川将軍家に献上されていた事から、過去から現在に至るまで高い評価を受けていたことが伺えます。

仁清に並ぶ京焼の名工といえば尾形乾山(1663 ~ 1743 年)で、実兄は絵師の尾形光琳(1658 ~ 1716 年)です。乾山焼の特徴として、それまで京焼になかった大胆な絵付けや文字を添える斬新な方法が人気を博す形となり、その大胆さの中に仁清以前の京焼の繊細な技術があったからこそ、より作品が生きる形となりました。

仁清に並ぶ京焼の名工といえば尾形乾山(1663 ~ 1743 年)で、実兄は絵師の尾形光琳(1658 ~ 1716 年)です。乾山焼の特徴として、それまで京焼になかった大胆な絵付けや文字を添える斬新な方法が人気を博す形となり、その大胆さの中に仁清以前の京焼の繊細な技術があったからこそ、より作品が生きる形となりました。

仁清・乾山を第一次京焼黄金期とすれば第二期は初代清水六兵衞 (1738 ~ 1799 年)・初代高橋道八(1749 ~ 1804 年)・奥田頴川(1753 ~ 1812 年)が挙げられます。初代六兵衞は摂津の農家の生まれでしたが、1771 年に京都五条坂にて開窯しました。1789 年刊行された「煎茶略説」の中で、涼炉・急須が高い評価を受けています。初代高橋道八は伊勢亀山藩士でしたが、出奔後上京し煎茶器の作陶を粟田口で行い、高い評価を得ました。奥田頴川は京焼で本格的な磁器生産を初めて成功させました。また、門下の中から青木木米(1767 ~ 1827 年)や二代高橋道八(1783 ~ 1855 年)など多数の名工を輩出した功績もあります。

幕末から明治維新にかけ東京遷都と大きな社会の変化に伴い、茶陶の需要が激減し、廃業を余儀なくされた者も多数いました。しかし、明治に入り、京焼の陶家たちは生き残りを賭け、京薩摩と呼ばれる豪華絢爛な金襴手の色絵磁器を制作したり、欧米における日本趣味(ジャポニスム)大流行により海外への輸出を増大させ、現在の地位を占めるに至りました。

幕末から明治維新にかけ東京遷都と大きな社会の変化に伴い、茶陶の需要が激減し、廃業を余儀なくされた者も多数いました。しかし、明治に入り、京焼の陶家たちは生き残りを賭け、京薩摩と呼ばれる豪華絢爛な金襴手の色絵磁器を制作したり、欧米における日本趣味(ジャポニスム)大流行により海外への輸出を増大させ、現在の地位を占めるに至りました。

今日の京焼・清水焼


Today's Kyoyaki・Kiyomizuyaki

今日の京焼・清水焼は、手びねり、轆轤、石膏型による型押し、流し込みなどの成形技法と、染付・色絵・金銀彩・交趾などの装飾技法を組み合わせ、先人の教えを基盤に、互いに切磋琢磨し、常に新しい京焼・清水焼を創造しています。
東五六では、京焼・清水焼の専門店として、京旅行の思い出となるお土産物や日常使いの洒落たうつわ、匠の技による伝統的な逸品など、幅広く取り扱っております。
「やきものはいきもの」窯元や作家からの信頼関係をもとに、お客様に末永くご愛用頂ける商品をご提案させて頂きます。